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めいほう鶏ちゃん特製ギフトボックス

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2017年6月より配達時間帯が変更になります。

鶏ちゃんとは?

岐阜県奥美濃・下呂地方の郷土料理“鶏ちゃん”について

岐阜県奥美濃・下呂地方で昭和30年前後から食べられている、郷土料理です。 

カットした鶏肉を、味噌や醤油にニンニク、ショウガ、唐辛子などを加えたタレに漬込み、季節の野菜と炒めて食べます。タレはお店ごと家庭ごとに工夫を凝らして作っているため門外不出の「秘伝のタレ」となっていることがほとんど。野菜はキャベツや玉ねぎや定番ですが、夏はナスにピーマン秋はニンジンに小松菜と、その時ある野菜と合わせて食べます。シイタケなどのキノコ類ともよく合います。白いご飯もお酒もすすむ味です。 

現在は若鶏のムネ・モモ中心の柔らかい鶏ちゃんが主流ですが、鶏ちゃん誕生の頃に近い固い親どりや内臓部位や鶏皮が混じった鶏ちゃんも根強い人気があります。 

ちなみに“鶏ちゃん”の発音は“ひょうたん”と一緒で、うしろにアクセントがきます。

郡上市明宝における“鶏ちゃん”の歴史

“ジンギスカン鍋で作った味付け肉”が鶏ちゃんの始まり

明宝で鶏ちゃんが食べられるようになったのは昭和30年代中頃から。当時の奥明方村(おくみょうがたむら)で飼っていた羊の肉をジンギスカンの要領で食べることが流行った後と言われています。当時、国策で羊の飼育が奨励されたものの、物資不足が解消されていくと羊は急速に村から姿を消してしまいました。村では残った鉄製のジンギスカン鍋で今度は鶏を味付けし、焼いて食べるようになりました。鶏は庭先で飼っていたものが卵を産まなくなった、親どり。肉はもちろん内臓も一緒にタレに漬け込んで焼いて食べました。

工事現場で働く人向けの店を中心に広まった鶏ちゃん

時代は伊勢湾台風の復旧工事に続いて高度経済成長に突入していました。当地でもいたる所が工事現場となり、そこには汗して働く男達の姿がありました。きつい仕事が終わった後の酒とともにあったのが「鶏ちゃん」です。しかし明宝では昭和50年前後まで、その呼び名は「モツ」「ホルモン」「トンチャン」「肉」でした。

異国の労働者、もう一つのルーツ

はじめは内臓入りが当たり前だったからという理由と、工事現場には朝鮮半島出身の労働者もおり、そもそも「鶏ちゃん」の味付けや調理方法を知っていたのが彼らだったからではないか、とも言われています。
今も郡上節で唄われる畑佐鉱山は明宝にありました。江戸時代から明治まで銀や鉛、銅(赤金)が採掘され大層賑わったとのことです。鉱山労働者の中にも朝鮮半島から渡ってきた人々がいたそうですので、明宝の鶏ちゃんのルーツは戦前の鉱山にあったかも知れません…。

下呂で聞くと“鶏ちゃん”の語源は“鶏”+“ジャン(醤)”の「ケイジャン」から、という説があります。鶏肉を醤油に漬けたものという意味で、韓国料理に欠かせない「薬念醤」のことではないかと言われています。また、「トンチャン」は、韓国語で大腸や小腸などを総じて指す単語。明宝で鶏ちゃんが「ホルモン」や「モツ」と呼ばれていたのは、もともと、廃鶏をさばいて何もかも一緒に、内臓もすべてタレに漬け込み焼いて食べていたから、とも考えられます。